八紘為宇(はっこういう)とも書く。
簡単に言うと世界を1つの家(屋根の下)と考え、仲良くしていきましょうと言う考えです。もっと広く言うと民族の差別を無くしていきましょう。感じでしょうか?
大東亜戦争(第二次世界大戦)までは、アジアの国々は欧米列強に支配されていました。それをことごとく独立のきっかけを与えたのは日本でした。
大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん、Greater East Asia Co-Prosperity Sphere)という考えも参考に。

Wikipediaには、以下の通り書いてあります。
八紘一宇(はっこういちう)とは、『日本書紀』巻第三神武天皇の条にある「掩八紘而爲宇」の文言を戦前の大正期に日蓮主義者の田中智學が国体研究に際して初めて使用し、縮約した語。八紘為宇ともいう。大意は「道義的に天下を一つの家のようにする」という意味である。

また、八紘一宇の塔として、宮崎県宮崎市に「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」が造られている。
以下の通り、Wikipediaには書かれています。
神武天皇が大和に東征するまでの皇居と伝えられる皇宮屋(こぐや)の北の丘に1940年(昭和15年)、紀元二千六百年記念行事の一つとして建造された。
この塔の建立に当たっては日本全国からの国民の募金・醵出金がその費用の一部に充てられた。また、日系人が多く住む中南米やハワイ、同盟国であったナチス・ドイツの企業DEST、イタリア王国からの寄付もあった。さらに日本軍の各部隊が戦地から持ち帰った様々な石材が使用された。
高さ37m、塔の四隅には、和御魂(にぎみたま)幸御魂(さちみたま)奇御魂(くしみたま)荒御魂(あらみたま)の四つの信楽焼の像、正面中央に秩父宮雍仁親王の書による「八紘一宇」の文字が刻まれている。内部には神武東征などを記した絵画があるが非公開。第二次世界大戦敗戦後に「八紘一宇」の文字と荒御魂像(武人を象徴)は一旦削られたが、後に再興された。この復元運動の中心となったのは、県の観光協会会長を務めていた岩切章太郎(宮崎交通社長)だった。