日工専時代

 日工専とは、私の入学した日立京浜工業専門学校の略です。現在は、日立茨城工業専門学校に統合されているようです。

 この日工専は、日立に入学した高卒者に対し、大卒と同程度の学びをしてもらい、大卒と同じ扱いをしてくれる仕組みになっています。
--上記リンクのWikipedaiでの説明を引用--
“日立工業専門学院(通称:日工専)”は株式会社日立製作所が管轄する企業内高等教育機関。日立茨城工業専門学院(通称:茨専)と日立京浜工業専門学院(通称:京専)の2学校を統合し改称されている。当該学院のすぐ近隣には同じく株式会社日立製作所が管轄する日立工業専修学校(通称:日専校)があり、しばしば当該学院と混同されるが、それぞれ独立した別の教育機関である。
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 通常、この日工専には、日立に入社後すぐに入る人がほとんどなのに対して、私は1年目には入学試験を受けませんでした。
 で、私は日立を辞めることを前提にこの日工専に入るのでした。今だから言えることかもしれませんね。
 理由は簡単で、プログラムの仕事は、短くて3か月、長くて2年とかを超えるチームで作業をするプロジェクトなんです。なので、辞めますと言っても引き継ぎとか、段取りとか考えると最低半年前に言わないと迷惑をかけると考えていました。また、辞めると言ってから半年間はとってもいずらい雰囲気になる。辞めるので、仕事にも力が入らないかもしれないし、ちと大変。

 なので、日立の選抜試験を通って(通る自信はありましたし)、一旦、仕事から離れて、学生生活をしながらも給料は頂けるしくみになっていたのもあるし、辞めるタイミングを見つけようと思い入った次第でした。

 日工専は15か月の寮生活で、卒業し、その後は、各会社に戻って仕事をするのが、通常でしたが、私は、7か月を超えたころに辞めました。

 ただ、辞める時に上長から引きとめられました。お寿司をごちそうになりながら、話を聞くと言うスタンスで話しましたが、最後は泣きながら話を終えたのを覚えています。本当にご迷惑をおかけしました。