1.父の死
1991年1月10日未明に父が亡くなりました。
家の前の小川に酔って帰ってきて、足を踏み外して落ちたようです。
そこに近所の人が見つけてくれて救いあげ、家に寝かしつけたようですが、翌朝に亡くなっていた。
私が、父の死亡を聞いたのは、11日の朝、母親からの電話だったと思います。
その10日の夜は私は家に居ませんでした。理由は覚えていません。彼女の家にいた可能性が大きいです。
で、11日午前8時ぐらいか、死亡の知らせを聞いて、帰る途中に事故を起こしました。
止まっている車に後ろからぶつかると言う事故です。
たぶん、その場から逃げたかったのでしょうね。
で、警察の事情調書を受けて、解放されたのが、昼過ぎ。
で、家に帰ったら、母親の宗教関係の青年部が10人位で葬式の準備を進めてくれていました。
自宅で葬式をあげる準備でした。
また、父の弟、母の弟が駆けつけていました。
葬式はその翌日の12日に挙げたと思います。そして火葬をしました。
この時、夢遊病者のような状態だったと思います。
2.父の死で心の地獄を経験
父が死んだ時に思ったのは、「これで面倒を見なくて良くなった」と言う安堵感でした。
ただ、この安堵感が私を苦しめることになりました。
「私が面倒をみなかったから父を殺した」と言う苦しみでした。
ほぼ毎日、起きるときに泣いて起きました。
「ごめんなさい。ごめんなさい。面倒をみなくてごめんなさい。」と・・・
これは、心の地獄でした。
たぶん、将来、父と向き合って生活をしていたならば、父を殺し、自分も死ぬぐらいの覚悟が無いと世話はできませんでした。
そこから逃げていたことに対する、心の葛藤が現れたと言うわけです。
たぶん、3か月は毎日このような状態だったと思います。
そこから逃れるために会社を作ったのかもしれません。