起業

 父の死から3ヶ月後には、会社を作っていました。

1.26歳の時に法人設立

 1991年4月3日に登記上の設立をしました。2013年9月まで持っていましたので実に22年と半年の経営でした。
今思うと、父親からの呪縛を逃れるために会社を作り、仕事依存に陥ったと考えられます。

 また、夜に働かなくても十分な収入が得られるようになったこと。
 商工会議所や教育委員会、老人福祉センター、婦人センターなどの年間の大口のワープロやパソコン講座の仕事が取れたのも法人を作った理由です。
 この時は車で平気で毎日往復で200kmぐらい走っていました。なぜかと言うと羽咋市(石川県)~富山県内のパソコン教室の仕事もしていたからです。

 最初会社を大きくしようと思っていた時に人を入れて、3人の社員を雇い入れたこともありました。
 ただ、今思うと経営者としての考えは甘く、先の無い人入れでした。

 いろいろありました。
 私にとってバブリーな時もありました。が、その日暮らし的な生活をしていました。

2.あん共育の意味

 法人名は、あん共育有限会社としました。

 「あ」~「ん」まで人の成長にかかわることをすると決めて名づけましたが、ほぼすべて私の得意な分野であるパソコン関連の仕事になっていました。

3.主な得意先や仕事

 ・市役所の生涯学習課が主催するワープロ・パソコン教室 例としては、年賀状作成講座とか暑中見舞いを作る講座とか、シルバー人材センターでのワープロそのものを学ぶ講座など(この時は平均年齢が70歳を超える受講生の方々が20人でした)です。
 ・地元のショッピングセンター内にあるカルチャーセンターの延長で、ワープロを教えていました。
 ・職安の訓練校として、パソコン検定講座、ワープロ検定講座も開講。
 ・商工会議所が主催する経営に活かす講座 売上管理ソフトや経理ソフト、仕入在庫管理ソフト、給与計算ソフトをどのように経営に活用するかと言った講座やブログやホームページの活用のための講座が主でした。
 ・経営者にソフト指導をした後で、ソフト開発の仕事も頂きました。例えば、自社の売上管理ソフトの作成などです。

 この時は、働いて働いて働きました。仕事中毒でした。そうでもしないと今から思うと生きていけなかったのかも知れません。