和魂(わこん:一霊四魂)を元に魂の特徴を紐解きます。

独立・起業と父の死

6.独立・起業と父の死

 プロフィールは、まちゅ個人ページに加筆修正をしています。

1)日立を辞めて

今は無き日産生命に半年お世話になる。
羽咋市のパチンコ店に半年お世話になる。これは社員としてお世話になった。
たくさん仕事をした(仕事依存に近い状態)のは、夜10時~お弁当屋の仕込みをして、朝5時に早めに上がらせていただき、新聞配達を1時間ほどして、朝6時半~リゾートホテルでの朝食の準備とウエイターで10時過ぎまでしました。そして、昼は、パソコン&ワープロ教室の経営をしました。

2)26歳の時に法人設立

1991年4月3日に登記上の設立をしました。2013年9月まで持っていましたので実に22年と半年の経営でした。
今思うと、父親からの呪縛を逃れるために会社を作り、仕事依存に陥ったと考えられます。

また、夜に働かなくても十分な収入が得られるようになったこと。商工会議所や教育委員会、老人福祉センター、婦人センターなどの年間の大口のワープロやパソコン講座の仕事が取れたのも法人を作った理由です。
この時は車で平気で毎日往復で200kmぐらい走っていました。なぜかと言うと羽咋市(石川県)~富山県内のパソコン教室の仕事もしていたからです。

法人名は、あん共育有限会社としました。「あ」~「ん」まで人の成長にかかわることをすると決めて名づけましたが、ほぼすべて私の得意な分野であるパソコン関連の仕事になっていました。

最初会社を大きくしようと思っていた時に人を入れて、3人の社員を雇い入れたこともありました。ただ、今思うと経営者としての考えは甘く、先の無い人入れでした。

いろいろありました。
私にとってバブリーな時もありました。が、その日暮らし的な生活をしていました。

3)父の死

1991年1月10日未明に父が亡くなりました。
家の前の小川に酔って帰ってきて、足を踏み外して落ちたようです。
そこに近所の人が見つけてくれて救いあげ、家に寝かしつけたようですが、翌朝に亡くなっていた。
私が、父の死亡を聞いたのは、11日の朝、母親からの電話だったと思います。
その10日の夜は私は家に居ませんでした。理由は覚えていません。彼女の家にいた可能性が大きいです。

で、死亡の知らせを聞いて、帰る途中に事故を起こしました。
止まっている車に後ろからぶつかると言う事故です。

たぶん、その場から逃げたかったのでしょうね。

で、警察の事情調書を受けて、解放されたのが、昼過ぎ。
で、家に帰ったら、母親の宗教関係の青年部が10人位で葬式の準備を進めてくれていました。
自宅で葬式をあげる準備でした。
また、父の弟、母の弟が駆けつけていました。

葬式はその翌日の12日に挙げたと思います。そして火葬をしました。

この時、夢遊病者のような状態だったと思います。

4)父の死で心の地獄を経験

父が死んだ時に思ったのは、「これで面倒を見なくて良くなった」と言う安堵感でした。
ただ、この安堵感が私を苦しめることになりました。

「私が面倒をみなかったから父を殺した」と言う苦しみでした。
ほぼ毎日、起きるときに泣いて起きました。

「ごめんなさい。ごめんなさい。面倒をみなくてごめんなさい。」と・・・

これは、心の地獄でした。

たぶん、将来、父と向き合って生活をしていたならば、父を殺し、自分も死ぬぐらいの覚悟が無いと世話はできませんでした。
そこから逃げていたことに対する、心の葛藤が現れたと言うわけです。

たぶん、3か月は毎日このような状態だったと思います。

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