折口信夫(おりくち しのぶ、1887年(明治20年)2月11日 – 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。
 1949年7月能登一ノ宮に春洋との父子墓を建立する。1950年宮中御歌会選者となる。1953年7月初め箱根行き、健康すぐれず。8月31日衰弱進み慶應義塾大学病院に入院する。9月3日胃癌のため永眠する。養子として迎えた春洋(戦死)とともに、気多大社のある石川県羽咋市一ノ宮町にある墓に眠る。折口家の菩提寺願泉寺に分骨が納められている。

 折口信夫父子 ゆかりの地 羽咋市のページ
 折口信夫没後六十年記念・市制施行五十五周年記念展「羽咋に眠るまれびと折口信夫」:終了したイベントですが載せておきます。
 羽咋 折口信夫父子の墓:道のりを写真付きで紹介してくださっています。
 折口信夫・春洋父子ゆかりの石川県羽咋市
 大阪市浪速区大国三丁目(浪速区敷津西一丁目
 鷗町公園内:地下鉄:大国町2号出口)の願泉寺
には、分骨埋葬されている。